2007年10月1日 和田 健

 "・・・話せばわかる"という。相手に少しでも許せる感情がある場合には理性的に話し合えても、恋の別れとか離婚話などで"あったまにきた!"と感情が昂ぶっている相手には・・・話しても無駄である。現代社会では、理性的に振舞えれば無難であるが、究極の判断は理性を超えて、「好きか嫌いか」という感情で決められてしまうこともある。こうして理性が感情をコントロールできない場合には、感情が人生を決定することもあり、それがうまくいけば"やはり直感があたった!とか ひらめいたのだ!"ということになり、うまくいかなかった場合には"切れやすい、破滅型の人"ということになる。

 人間における感情は本能に由来するもので、動物社会ではそれを情動という。哺乳動物における情動は、嗅覚・味覚を基本にした「食べ物の好き・嫌い」と「縄張り・闘争」が本能である。だから、嗅覚と味覚器官は身体の最先端でアンテナをはっている。呼吸とか心臓の鼓動などの生命の自動的制御機構は脳幹(中脳・橋・延髄)にあるが、この本能的情動は脳幹周囲の旧脳といわれる大脳辺縁系で制御されている。嗅覚・味覚がそそられると、雰囲気とか情景などをイメージしながら、本能的に感に堪えない表情でウンウンと頷くばかりで、彼女の香水や懐かしい母の味などを的確に表現する「ことば」は"素敵な香り"とか"うまい"以外にはない。「好き・嫌い」は食べ物以外でも、周囲の人達のことなどでの「快・不快」や「満足・不満」から「嬉しがったり・怒ったり」の喜怒哀楽に発展する。このように情動とか感情は大脳辺縁系の本能に由来するので、その本質は感覚的で理性的ではない。だからこの本能的感情はなかなか「ことば」にならない。

 人間の進化は脳の巨大化(大脳化)だったが、それは大脳皮質(新脳)で触覚・視覚・聴覚領野が大きくなったことによる。触れることで、その感触を多様に察知し、視ることで色彩的・立体的に把握して記号化し、聞くことで音を脳内で言語化する言語中枢ができた結果、「ことば」による論理と理性が発達してきたのである。大脳辺縁系での「好き・嫌い」の本能的情動から、大脳皮質での知・情・意を総合する「こころ」が芽生えた人間では、より複雑な集団的および社会的生活環境に順応できる豊かな感情が醸成され、言語を用いた意識を共有することが可能になってきた。
 現代社会で感情表現は極めて重要な要素である。大脳皮質の進化は、自分の感情を振返ったり、自分の言ったことばを反省したり・・・というフィードバックを可能にしたが、それは主観的感情をより客観的に振返ることを可能にしてきた。大脳皮質の「言語」と大脳辺縁系の「感情」とが常に連携して発する「ことば」とそのマナーは、最終的には口で最も効果的に表現される。
 このように、脳内での感情と理性の葛藤のあれこれを「口が、すっきりと、ことば」に具体化しているという現実を直視すれば、口は脳舞台だということになる。